生と死の境界線
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桜散る季節に思い出す死の存在。
死が怖い。
怖いが故に普段は考えないようにしている。
一呼吸をして、心臓の鼓動を刻む度に死が近づく。
子供達が自立し巣立つまで死ぬわけにはいかない。
最低でもあと10年・・・では足りない、20年は必要だ。
もうすぐ1歳の誕生日を迎える長男が巣立つまでは死にたくない。
初めて死を意識したのは祖父が亡くなる時。
もちろんそれまでテレビゲームやら漫画で死の場面は何度もあった。
だが、リアリティがない。
亡くなる時とは命が尽きる時より早くきた。
祖父は多額の借金を背負ったすぐあとに認知症になった。
最終的には夜中に家の外へ徘徊するようになって、毎夜ベッドに縛り付けておくなんてことはできないので特別養護老人ホームに入居せざるを得なかった。
それまではまだ私を私(孫)と認識していた。
両親は祖父がいる老人ホームへ何度か様子を伺いにいったが、祖母は1度も行かなかった。
たぶん祖母は祖父の借金と認知症で嫌気が差していたのだろう。
私は何故か老人ホームへ行くことを止められていた。
理由を告げられていたはずだが思い出せない。
私が老人ホームへ訪れたのは半年後ぐらいだった。
職員曰く、認知症の症状が若干改善されてきたらしい。
確かに職員と共にあやとりをしている祖父はどこか元気そうだった。
半年前と同じ調子で話しかけた祖父とはスムーズにコミニケーションが取れて本当に改善してきたのだと思った。
だが1つ不安があった。
私の名前を1度も言わなかった。
そのことに気付いたのは自宅に戻った夜のことだった。
その後、度々両親に祖父の症状を聞いたが、あまり状況は芳しくないようだ。
次に私が老人ホームを訪れるのはまた半年後だった。
老人ホームに入居してから約1年経過した祖父はあきらかに痩せていた。
見た目だけの問題ではなかった。
祖父に話しかけたが反応が鈍い。
それよりももっと問題があった。
気付きたくはなかったが、祖父は私を私(孫)と認識していないようだった。
私の名前がわからない、言えない、過去のことがほとんど思い出せないようだ。
トイレに閉じこもり1人で号泣しながら初めて死について考えた。
もう私の知っている祖父は死んでしまったのだと思った。
過去を失った祖父。
自転車の練習に付き合ってくれた祖父、駄菓子を買ってくれた祖父、雷が酷い夜一緒に寝てくれた祖父はもういない。
記憶をほぼ全て失った祖父は生きているといえるのだろうか。
精神は死んだが肉体は生きている状態。
それから私はもう老人ホームへ行くこともなくなった。
私の知っている祖父はいないのだから。
そして1年後、死因は覚えていないが肉体も亡くなった。
骨となった祖父を見ても泣けなかった。
親戚一同泣いていたが、私は泣けなかった。
薄情な奴だと思われただろう。
だって、私の中で祖父はすでに・・・。
そして月日が流れ今度は祖母に異変が起こった。
その時私は社会人として実家から離れていて結婚もしていた。
祖母は誰よりも自分の身体に気を使っていた。
毎日栄養ドリンクを飲み、運動をしたり、ジクソーパズルが好きだったので頭を使っていた。
そんな祖母が急に洗面所で倒れたらしい。
原因は脳卒中。
父から連絡がありすぐに病院に駆けつけたが意識が戻らないようだ。
脳に水が溜まっているので抜かなければいけないが状態がよくないので手術をするのも躊躇っているらしい。
私は酷く気が動転していたので、記憶が曖昧だが医者は親族代表として父に1枚の書類を出してきた。
医者の説明では手術をしてもよくて半身不随、最悪死に至る。
それでも手術をするかの書類だったはず。
未だに父には言っていないが、私と母は祖母なら手術を求めるのかを話し合っていた。
私と母の意見は一致して、気の強かった祖母なら手術を求めずこれ以上の醜態を見せたくないだろうだった。
父は手術をすることにサインをした。
手術は幸いにも成功したが、医者の説明通り半身不随になった。
右側だったか、左側だったのか覚えていない。
身体だけではなく脳も損傷していて記憶を司る部分にも影響していた。
祖母も祖父と同様、記憶がないどころか動けないに等しい状態になった。
呼びかけると若干反応をして手を動かしていた。
口から栄養を取ることが不可能になり、胃ろうになり、胃ろう患者を受け付けてくれる特別養護老人ホームに入居することになった。
見舞いには度々出向いたが、症状がよくなることはなかった。
最期は喉に痰が絡んで窒息した。
非常に難易度が高い手術にも成功させた医者には感謝しかない。
その一方でその延命処置は祖母は望んだのだろうかと思い続けていた。
その手術をした主治医の医者は手術の腕だけではなく、私達家族の視点で物事を考え相談に乗ってくれる非常に優秀な医者だった。
その人と2人きりなる機会があったので聞いてみた。
延命処置と精神と肉体の死について。
個人としては心臓の鼓動がある内はどんな状態であろうが生きている、医者としてはどんな状態であろうが患者を少しでも良い方向へ助けたい。だった。
それを聞いた私は色んな感情が重なって感情のコントロールができなくなり号泣した。
それからの私は祖母の最期までは生きていると思うことにした。
だから祖父の時とは違い、祖母が骨になった際には泣いた。
ちょうど今ぐらいの桜が散る時期だった。
もうすぐ1歳になる長男は生に満ち溢れている。
長男を祖父と祖母に見せることはできなかった。
まだ伝い歩きすら危うい長男。
泣いていても私が抱っこをするとすぐ泣きやむ長男。
天国で祖父と祖母はそんな長男を見守っていてくれるのだろうか。
たまに寝かしつけるために部屋を真っ暗にして抱っこをしていると、私の方ではなく天井を見上げて笑う。
長女と次女はもっと小さい頃に黒い影を見たと言っていた。
桜散る季節に思い出す。
生と死は隣り合わせ。
銀河鉄道999の星野鉄郎のように永遠の命を求めて旅をしているが、限りある命の方が尊いと思うようになるのだろうか。
今は生きたい。