新たなる病、それは蓄膿症

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病と共存する生き方。

  現在、私は様々な病と闘っている。それらはとても軽度だが、複数の病と同時に闘うのは辛いものである。前世の悪行か、現世の悪行か、原因は一言で表すと普段の行いだろうが、ここまで重なると何か大きな見えない力によって徐々に犯されていくのではと思うようになってきた。

 

 どのような病と闘っているかを整理したいと思う。前回の健康診断で発覚した血尿。まさか人生2度目の泌尿器科にお世話になるとは思ってもみなかった。血尿2+と診断結果が出て、すぐに泌尿器科へ行って下さいとの知らせに戦慄した。泌尿器科で精密検査をした結果、腎臓には異常がないとのこと。血尿の血はどこから流れてきてるかが問題らしく、腎臓が悪いと精密検査でわかるらしい。それならどこから血が流れてきてるのかと問い合わせたら、結石の疑いはあるが血の量から様子見でいいだろうと言われた。血が流れ続けている不安と戦いながら次回の健康診断を待つ。尿繋がりで淡白と頻尿とも戦っている。淡白は母親譲りなので特に気にはしていない。問題は頻尿だが、トイレが近くにないと落ち着かない、30分に1度はトイレに行きたくなる。これらの症状が自己診断でわかったので、大昔に人生1度目の泌尿器科へ行った。お尻の穴に指を入れられるという貴重な体験の結果、膀胱炎の疑いがあるとのことで薬を貰った。しかし、精神的な病気でもあるので気長に付き合うしかないとも言われた。頻尿も淡白も治っているかがわからない。なんとかなるだろう、たぶん。

 

 前ばかり気を取られていた私に衝撃な事件があった。病は後ろからきたのである。脱肛した。脱肛と私 カテゴリーの記事一覧 - そして、かおもじへ こんなカテゴリーを作成するのは私ぐらいだと思うが、脱肛との付き合いは過去記事を参考にして頂きたい。現在は完治したとは思えないが、良好である。しかし、和式トイレは天敵で、余計な力がお尻の穴に集中してしまい脱肛の危機だ。あとは重たい荷物を持つのが怖い。これも脱肛者にとって危険な行為である。

 

 あと病とは判断しにくいが、性欲の減少。これについては自分が悪いのではなく心ときめくアクシデントとハプニングがない世の中が悪いのだと思うようになってきた。しかし私は期待している。これから夏に近づいていく。夏といえばハプニングの宝庫。プールと海に今年は何回行けるだろうかワクワクが止まらない。いや、何もないんだ。何もなくていいんだ。ただ私は夏のプールと海が好きなだけだ。ドーピング剤のエビオスは一先ず休憩だ。ありがとう夏。ありがとう水着。ありがとうギャル。

 

 そろそろ本題の蓄膿症の話だが、2週間ほど前に風邪になった。内科から抗生物質を貰い安静にしていたら5日ほどで完治したが、いつもの風邪の治りとは少し違った。鼻がおかしい。鼻の奥、目頭の下あたりに違和感がある。なにかが溜まっている感じがする。それが1週間も治らないので耳鼻咽喉科へ行ったところ軽度の蓄膿症と判断された。膿が溜まっているらしい。『あぁこれは溜まっていますね』と先生に言われ、『(2重の意味で)溜まっていましたか』と思わず心の声が出そうになったが、インターネットで事前に調べていたので想定内だった。抗生物質を貰い経過をみることになったが、蓄膿症も長期決戦なので、また長い戦いが始まったなと思った。

 

 本当に気をつけなければいけないのは、この蓄膿症と診断された時に真っ先に思ったのは、「やったぜブログネタができたぜ」だった。これは重度の病である。この病の処方箋は瞑想だと聞いたことがある。だが私は瞑想と相性が悪い。それはなぜかと言うと、私の原動力は煩悩である。煩悩こそが私の生きる術である。昔、GS美神という漫画に、横島忠夫という男がいた。物語中盤まで足手まといとされていたが、後半、煩悩を力に変える能力を身に着け、ついに主人公である美神を超える。煩悩こそパワー。瞑想をすると水着が浮かぶ。妄想族の定めによって瞑想ができない。ありがとう水着。

 

 最後に、長々と読んでくれた方へ、この言葉で締めくくりたいと思います。

いつまでも 無事と思うな 心と体