多様な生き方を認めるジレンマ

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今回は少しだけ真面目に。

ブログを通じて得た知識は沢山あるけど、その中でも特に重要なのは、他人の生き方を尊重する。正確には、全否定ではなく一度受け止め考えてから、肯定をするか否定をするかを決める。

例えば身内に、精神病に該当する人はいない。と思っていたけど、もしかしたら、私が気付いていないだけで、当人でさえ気付いていないのかもしれない。

もう古い言葉になるかもしれないけど、甘えとは何だろうか。頑張れと応援する無責任。自分では経験できない物事の方が圧倒的に多いはずなのに、自分の経験だけで他人にアドバイスしてもいいのか?その辺を考えたりする。

自分でブログに触れるまでは、アフィリエイターという存在、そもそも、時給何円?の世界で生きるのが普通だと思っていたので、プロブロガー・自由・不労所得ニート情報商材・オフパコ…私には関係のない世界だと思っていた。

たまたま今日のTwitterTLに、とあるブロガーが質問に答えていた。質問内容は、「高校1年生ですが、学校へ行くのが嫌で登校拒否をしています」そんな内容だった。そのブロガーの答えは、「君は賢いので学校なんてどうでもよい」みたいな答え。(どのブロガーかわかっても反応しないでね)

長女が中学生になり思春期真っ只中で青春を謳歌している。高校受験も遠くない未来。親の立場からすると、どんだけ高校入学に金がかかり、高校を卒業しないと最低限の職(これは一考の余地あり)に就けないぞ。自分の経験というかポテンシャルでは高校を卒業しなくても生きていけるかもしれないが、世の中には自分でも想像できないほどポテンシャルが低い人がいる。ポテンシャルとは、生きていく為に必要な居・食・住を確保する術が得られない。まぁ甘えるなクソがっと親としては思ってしまう。

長女には、世の中は何かを得るには何かを捨てなければいけない。と教えている。ようするに等価交換。それは私の経験からのアドバイスで、私自身が、若くして結婚して親になって、尚且つ、新卒で入社した会社がブラックだった。なので、たくさん捨てた。

少し前に「わたしおかあさんだから」みたいな歌が話題になったけど、否定的な人が多かったが、私からすれば…私の嫁からすれば、「わかる~超わかる~」(そんな言葉使いしないけど)だろうなと。長女の赤ちゃんの頃は何一つ育児に参加しなかった。出来なかったというのは甘えだし、やろうと思えば出来たけどやらなかった。時間的にも精神的にも余裕が無さ過ぎた。なので、長女との思い出は5歳ぐらいからしかない。長女だから厳しく接しなければいけない。逆に、長女でよかった。初めての子が長男だったらもっと厳しく接していただろう。

ブラックなんて辞めればよい。なんて思うし、実際に辞めたけど、私自身はどうでもよいし、最悪、両親に泣きつけばいい。と考えていたけど、嫁と子供の事を思うと、何かしらの継続して安定した収入源がないといけない。と今でも思っているので、なかなか辞めれなかった。なので、ブラックに勤めている人に対してのアドバイスは何もない。独り身ならすぐにでも辞めて両親に泣きつけば?と思いつつ、それが出来ない理由なんていくらでもあるだろうし。

少しだけアダルト方面にも触れておくけど、その方向で活躍する人を尊敬している。芸能人として自分と違う世界で生きている。だけど、自分の子供がそっちの道を歩むとしたらどうだろうか。たしかあの世界は、高校を卒業したらプロとして働く事が出来る。両親との仲は良好、いつも応援してもらっている。そんなコメントを何度か女優から聞いたが、私からすればマジか?頭おかしいな。といったところ。等価交換の原則は守るべきだなと。

結局は、自分の身内にすら生き方を認め尊重できないので、他人の生き方なんて知ったことではない。ブログで得た知識は、肯定も否定もするけど、無責任なアドバイスに左右される人生ならポテンシャル低すぎ層なので関わらない方がよいのでは。アラフォーに近づいている今日この頃、思うのであった。