2度の転職で得られたモノ
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自分語りの集大成で、私の半生を綴ります。
長文ですし、役立つ情報なんて一切ありません。
高校3年
今でもですが実家が嫌いなので、大学をどうしても実家から通えない遠くの大学を選択して一人暮らしの口実を作る事で実家から離れる事ができました。
正直、実家から離れればどの大学でもよかったのですが、なんとなく入試を受けた3校が全て合格したので選びたい放題でした。
真っ先に合格した静岡県の大学へ下見に行きましたが、凄い所に場所に大学がありました。
新幹線の駅からバスに乗って2時間かけて大学前に到着して、大学内に入らせて貰いましたが、田舎だったので広大な土地を生かしたキャンパスだったので迷子になりそうでした。
大学以外何もないと言っても過言ではない状況で、一人暮らしをする為の賃貸物件を見つけることすら困難だったのでその大学は諦めました。
2校目の大学は補欠合格でした・・・。
この大学へ入学する事になりますが、嫁は同じ大学の先輩なので未だに馬鹿にされます・・・。
3校目も合格だったのですが、1校目と同じく辺鄙な場所だったので見学すら行くのを止めてしまいました。
補欠合格だった2校目に入学する事にしましたが、補欠合格だった故に合格発表がかなり遅かったんですよね。
なので、時期もギリギリだったこともあり、下見ではなく賃貸物件を決めてくる勢いで大学へ向かいました。
賃貸物件の選択肢が2つあり、1つは大学から2駅の場所で5.5万円、2つめは大学から徒歩10分で7.2万円でした。
どちらも1LDK、ユニットバスでした。
大学への交通費や利便性を考えて7.2万円の物件を選んだのですが、これが幸か不幸か嫁と結婚する事になった一つの原因でした。
大学時代
高校時代は2つ部活動に入っており、退屈する事が嫌いだったので、大学でもすぐにどこかのクラブに所属しようと思っていました。
入学してすぐに新入生歓迎会みたいなのがあって、クラブ勧誘が盛んでした。
高校時代は2つとも体育会系だったので、文科系を選ぼうととあるクラブを選びました。
これが、後の人生に大きく響いてくるとは・・・。
高校時代から体育会系の部活をやりながら、家ではPC-98マシンでDiabloを楽しんでいた私は、大学の初歩的なPCの使い方授業が退屈で仕方なかったので、教授と和気藹々話をしている内に、『1年間は退屈かもしれないが授業に出席しなさい。2年目からはアルバイトとして補佐をしなさい』と言われたので、2年目からは何故か教授の補佐をするアルバイトをしていました。
文科系のクラブを選んだ私ですが、所属する先輩達が何故か全員体育会系のノリというわけのわからないクラブでした。
ある程度はどの年代の人とも会話を合わせに行く事が出来たので、自然と所属クラブで打ち解けあい上記でも書きましたが、大学と家が余りにも近いので年中無休で大学の知り合いの誰かが私の家に遊びに来ている状態でした。
あまりにも人が尋ねてきて、授業中でも今どこにいる電話がかかってくるので面倒になったので2年の時から玄関の鍵を閉めるのを諦めました。
そのクラブの先輩の一人が嫁であり、男女や年齢関係なく数十人が遊びにくる状態だったので、最初から特に何か印象があったわけではありませんでした。
1LDKの家の中で遊ぶ内容は限られてくるので、車を持っている人が車を出して遠くにでかける事が多くなってきて、当然ですが先輩世代は車所有率が高かったので、どの先輩の車に乗ればいいのか聞いている内になんとなくメンバーが固定されていきました。
それで、知らず知らずの内に嫁の車に乗る機会が多くなっていき、気づいたら嫁と私が二人きりで遊ぶ目的地まで向かう事が多くなってきました。
どうやら、これは先輩達の策略だったらしく、私と嫁をつき合わさせる作戦だったと、結婚手前で教えられました。
そんな大学生活を送っていましたが、体育会系のノリだったので先輩後輩関係が厳しかったので、嫁が大学を卒業して社会人になってから本格的に付き合い始めました。
それで、4年になり就職活動をして10社ほど落ちたあたりで1社内定を得たのでその後は、就職活動を止めてしましたが。
これが失敗でした。
内定を得たのであとは適当な大学ライフを過ごし、卒業式当日の朝になりました。
そこで、人生で一番重大な事が発覚しました。
卒業式に着ていくスーツを確認したり準備をしていたら、嫁から電話がかかってきて用件を聞くと、一言だけ言われました。
『妊娠した』
・・・
卒業式どころではなくなった私は各方面に連絡して卒業式に出席するのを止めようかと思いましたが、嫁の両親からとりあえず卒業式に出席してから挨拶に来て下さいと言われたので、卒業式のスーツのまま嫁の実家に挨拶をしにいきました。
ドラマで見るあの光景になるのかと思いつつ、挨拶へ行きましたがドラマみたいな事はなく、赤ちゃんが生まれる前に入籍を済ませて欲しいという要望があったので、急いで結婚式場を選んだり、新居を探したり忙しい日々でした。
社会人1社目
業務内容的にはテレホンアポイントでした。
どこから用意したかわからない企業一覧の電話番号を渡されて商品説明をしつつ契約書類を郵送する内容です。
この業務内容が苦痛で仕方が無く、生まれてきた意味を考えさせられました。
しかも、入籍やら結婚式プランやら新居やら色々大学時代とは違う色んなことを同時進行していたので、精神的に限界でした。
最終的には精神的ストレスにより声がでなくなり、仕事にならない状態になったので自ら退職願を出しました。
無職時代
退職したのが結婚式の1ヶ月前だったので、結婚式は無職のまま永遠の愛を誓うという状況になってしまいました。
そして、結婚式から1週間後嫁から手渡された書類があります。
離婚届でした。
『1ヶ月以内に働かないと離婚します』
そんなわけで、離婚届に署名をしてから本気を出してハローワークや求人情報誌を読んで、ギリギリ1ヶ月以内に正社員になりました。
社会人2社目
あまり詳しく書きたくないので雑な説明をすると、営業職でしたが先方との関係は良かったのですが、社内生産職との関係が悪すぎて仕事になりませんでした。
当然、私だけじゃなくて営業職全員が生産職全員と関係が悪すぎるという会社として致命的な状況でした。
原因としては、営業職からの仕事は一言でいうと割が合わないことが多く、しかもそれを経営者が常日頃公言してしまうのが問題でした。
まぁでも間違えではなく、オンライン受注をした方が利益率が高いのですよね。
それでもなんとか家族の為と思い込む事によって仕事を続けてきましたが、入社3年経過した時に海外出店計画がでてきて、海外に転勤命令があっても断れないよ書類にサインをしなくてはいけなくなったのがトドメとなり、そのサインした数日後から転職先を探しました。
さすがに長女も生まれていますし、ノープランで無職になるわけはいかなかったので、限られた有給を細々と使いながら転職先を探すのは苦労しました。
結局、ハローワークで転職先が見つかったので2社目は退職することとなりました。
若干の無職時代
3社目に入社する前に、新婚旅行へ行ってない事に気づいたので、入社を少し待って貰って、オーストラリアに旅行へ行きました。
もう8年前ぐらいになるんですかねぇ。
本当かどうか知りませんが、コアラを抱っこできる地域が年々減少しているみたいで、かなり辺鄙な地域まで行ってコアラを抱っこすることができました。
あのコアラ見た目は可愛いけど爪が鋭くて痛いんですよ。
あと、カンガルーはオーストラリアでは車のライトに反応して逃げるどころか逆に車に寄ってきて危ないのでバンパーにカンガルー避けのアメフトのフェイスマスクみたいのを付けないと危ないので標準仕様で全ての車に付いているらしいです。
コアラは手厚く保護しているのに、カンガルーとの差が激しすぎてショックを受けました。
社会人3社目
今の会社なので過去記事をご覧下さい。
結局、2度の転職で得られたモノは、結婚生活の継続と署名入り離婚届と家と子供達ですね。
1社目も2社目も帰宅時間が毎日24時頃でした。
ブラック企業だからどうとか、言うつもりありません。
大学卒業式に妊娠している事がわかり、結婚式には無職で3人の子持ちの私も元気に生きていますので、そんな生き方もあるのだ程度の記事と思って頂けたら幸いです。
わざとフィクションを15%ほど入れています。
どの部分がフィクションなのかはご想像にお任せします。